
か」と言いました。「それはありがたい」とお願いしました。嫁さんが書いてくれたので、感謝の気持ちでいます。
息子は家庭の事情で十一歳のときに、名古屋ろう学校の小学部へ入学しました。その後、ずっと親と遠く離れ、寄宿舎で集団生活をしていたので、寂しい思いをしました。息子のそばに一緒にいたかったのですが……。
息子は小さいときから集団生活が身についていたせいか、まじめに理容の道を歩んでいます。けれども、はっきりした発音ができていないので、「息子が小さかったときに、発音を直してあげられればよかったのに」と悔やんでいます。嫁さんも耳が不自由です。十七年前を思い出しています。そして、男の子の初孫も耳が聞こえないことがわかったときは、ショックを受けました。
嫁さんが私に、「子どもの声が聞こえないから、代わりに発音を聞いて直してやってください」と言いました。私は、「息子の発音を直してやれなかった分を、孫のために必死になって頑張ろう」と決心しました。
嫁さんが、小さな孫にいろいろな本を与えたり、いろいろと体験させながら、話しかけたり、本の絵と実物を合わせて言葉を覚えさせたり、三人でカルタ取りや絵カード遊びをしたりしました。
嫁さんは耳が聞こえないため、孫の発音を直してやれないので、私がやったのです。嫁さんと二人で、夢中で孫の発音の訓練をしたときが印象強く残っています。
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